こんにちは。
「親の顔を見てみたい。」
毎日のように言われてた時期があります。だいぶ昔ですが。
申し訳ないな。という気持ちでいっぱいでした。
時が経って、改めて考えてみたのですが、
この台詞に、相手の為になる要素は1つも見当たりません。
ですから、相手の為を思って言っている可能性は限りなく低い。
1対1での会話であると考えると、第3者の為に言っているとも考えづらく、
自分の為にだけ言っていると考えるのが妥当。
発言の理由については、その言葉の効果を考えるに、
マウントをとりたいか、ストレスを発散したいという可能性が高いと考えます。
いずれも、極めて利己的な理由である事から、
この言葉を常用しているような場合は、基本的な人格自体が利己的である。
と考えて問題無さそうです。
それなりの確率で、パーソナリティ障害も疑ってしまいます。
という流れで、私の判断としては、
「親の顔を見てみたい。」という人間は、
関わらない方が良さそうだという事になります。
あくまで私の考えの範疇での話なので間違いなきよう。
解釈は、人それぞれですから。
解釈の1例として、この言葉を言われた際に、
「自分の事を悪く言われるのは構わないが、親の悪口を言われるのは許せない。」
と、いう返しをする方がいらっしゃるようです。
私とは意見が合わなそうな人だな、と考えます。
義に厚い自分を演出したい中二病なのではないかと、疑問を持ってしまうからです。
まず、親自体はこの台詞を聞いていないので、なんともありません。
親に影響があるとすれば、人づてに、この出来事を聞いた時だけでしょう。
もし、その効果を期待しているのだとすれば、あざとい。
また、許せないと、怒りを感じているのは、言われた本人だけです。
自分の信じる所を傷つけられたと主張して、怒りの台詞を返している。
親のために怒っているのではなく、あくまで自分の為に怒っている。
親のためと見せかけつつ、結局は、自分だけなところが気になります。
おそらく悪い人ではないと思います。
むしろ良い人なのかなとは思います。
ですが、自分の事を好きすぎるのではないかと、少しだけ心配になってしまうのです。
もしかすると、ARIAの「恥ずかしいセリフ禁止」という感覚で、必要以上に気になっているだけなのかもしれません。
同族嫌悪ですかね。
そんなこんなで、
話のつながりはありませんが、
目上の人を無条件に尊敬はしません。
間違ったと思う経験があるからです。
歳に関係なく、尊敬できる人を尊敬します。
ではでは。