こんにちはー。
まとまらない話です。
最近、何に対して気を使っているのか、使う必要があるのか。
自問自答を1日5分くらいは行うようになりました。
人と会う事のできない日々が続いておりますね。
私にとっての飲み会は、プライベートでの社会とのゆるい繋がりの全てであり、生きがいにも近しいものなのですが、命より大切な飲み会はない。とおっしゃられる方もいらっしゃる。
コロナ感染 = 命 と繋げるあたりが胡散臭い話ではありますが、私は酒飲みすぎなので、多少のリスクはあるんじゃないか。と考えてはいます。
それでも仕方なくコロナに感染して死んでしまうなら仕方ないとは思います。
えくもとか繋がれてる自分を想像しただけで失神する。そんなの繋がなくていいから、モ●ヒネでも射って恐怖を除いてくれればいい。意識がないならそのまま殺してください。
飲み会は、相手がいてこそである為、私の我を通すような事に意味がないのも承知しており、表面上は要請にしたがような形で振る舞うものであります。
考え方の違う人を巻き込むのはよろしくないですからね。
この状況は、数カ月から1年程度は続くと予想しますが、なかなか辛いものですね。
1年経てば、ゆるい繋がりなんて全て切れるのではないでしょうか。
人との繋がりが日々希薄になって行くのを残念に感じていますが、繋がりを強くしようと積極的に動こうとはならない。
繋がりがなくなれば、自由に振る舞える利点はある。それが日常。日常というよりは年常というのがしっくりくるだろうか。5年程度の常。
結局、自分一人のみで完結できる事しか、後に残らない。
人生というのは生き地獄であり、死ねないから生きるしかないものである。
生きるしかないから、少しでもマシに生きようとあがくものであるが、隙を見せた瞬間、必ず足元をすくわれる難易度の非常に高いものである。
国は税金と各種掛け金を持っていくだけの存在であり、都合よく頼るものではない。
対価とは、可能性を熟慮した上で最大限の注意を払いつつ行った事に対して最低限のみ得られるものであり、ボーナスゲットは起こり得ない。
ボーナスのようなものがゲットできるのは、それに見合った行動を起こしていた時のみである。
と考えていたのであるが・・
定額給付金の10万円をどう見るべきか。
いい歳したおっさんにとって、大きな額とは言えないが・・
それでも、いきなり降ってきた物のようにも感じる。
これは、ボーナスなのだろうか?
それとも、税金で納めた分の、幾分かが戻ってきたと考えるのが自然なのだろうか。
どちらにせよ、不思議な感覚のする金である。しっぺ返しがあるのだろう。
一体何に使うんだろうか、使わないのが正解なのだろうが。
っと、まとまらない話でした。