こんにちはー。
まとまらない話です。よろしくお願いしますー。
今回は「サイコパス」についてです。
こちらはアニメの話ではなく、精神病?いや、精神疾患らしいですね。
言い方を変えると、「反社会的パーソナリティ障害」というらしいですが、
それについて思う事をつらつらと。
医者でも研究者でもないので、
専門的ではない事を先にお断りさせていただきますね。
なぜ、サイコパスについて考えるかというと、
私自身が、サイコパスって言われる事がありまして。
えっと・・ジョークで言われるのですけれどね。
そう言ってくださることは、嫌なことでは全くなくて、
逆にありがたかったりするのですが。
コミュニケーションですし。
しかし、なぜ、そういうジョークが成立するのか、
そこらについては時々考えることがあります。
完全なジョークなのか、ほんのちょっとはそう思っているのか、
本人ではないので、正確なところは、わかりようがないのですが。
火のないところには煙は立たないというのは、
このような場合なら当てはまるだろうな。
という事で、
恐らく、ほんのちょっとはそう思っているんだろうなー。と。
ということは、そういう行動や言動を私がとる事がある。
という事だと思うのですが。
心当たりはって考えると・・
正直なところ、あります・・。
最も心当たりがあるパターンは、
空気を読まない(って思われる)言動をした時かな?と思います。
とっさに例が出てこないのですが、
ざっくりしたところでは、マイノリティな意見を発信した場合とかになるのですかね。
ここは、こう同調すべきでしょ?
というような場面で、マイノリティな意見を発信する。
恐らくは、それが人の気持ちを考えない。とか。
空気読まない。のような、
そういう感じに見えるのかな?と。
親しいと思っている方々とお話ししていると、
(もしかすると、私だけが一方的に親しいと思っているだけかもですが、)
そういう方達は、人当たりが良くて、協調性があって、優しくて、親切で、楽しくて。
言っちゃえば、最高な方達なんですね。
皮肉でもなんでもなく、本当に最高な方達です。
(ってこういうところかな・・)
最高な方達が集まると、必ず最高な会話の内容になるわけですよ。
意見は、まず割れないですし、
多少の誤差があったとしても、協調性が高いので、丸く進んじゃうんですね。
なんできちんと纏まるのだろう?
みんな本当にそう思ってるのかな?と小さな疑問を持ちつつも、
いつもそうなので、そういうものなのだろう。
コミュ力が高いっていうのは、すごい事だなぁ。って。
キラキラしてて憧れしかない。
若干、話が変わりますが。
同じテーマでも、自分が話す内容って、
相手によって変わってくると思うんです。
本音と建前というやつですかね?
基本、建前でコーティングした内容を話しますが、
親しければ、親しくなるほど、建前コーティングが薄くなっていくと思うんです。
薄くなった結果、本音をそのまま出していく部分が増えると思うんです。
言論の自由とか言ってますけれど、
本音をそのまま話すと、失言になる文化が根付いていると感じていて、
その文化がある為に、建前を使って自己防衛しないと社会では生きていけない。
本当は、いつも本音で話したいのですが、
社会で生きていく上では話したらまずいことがいっぱいある。
だから建前コーティングは必要な事であって、何も悪くないです。
むしろ、優しさに等しいものであるとさえ言えると思います。
ただ、コーティングしているだけで、本音は薄まらず存在しているわけで、
ぽろっと、その本音がそのまま出てしまう事がある。
そんな時に、この人、変な人だ。って思われちゃってる気がします。
大人ならば、そういう事がないのだと思うのですが、
私には難しいみたいです・・。
気をつけていても、ああ、しまった。って時がある。
特に注意なのが、飲酒時ですかね。ほんと要注意です。
もし、私の建前にあたる部分が、
みなさんの本音にあたる事例の割合が大きいのであれば、
本格的に、コミュニケーション障害の可能性も疑っていくべきかな。と。
実際そういうパターンもいっぱいあるんだろうなあ。
少なくとも、腑には落ちているんだろうな。と思うこともあります。
公共の福祉に反するような意見じゃなければ、
それほど問題ないのかもしれない?
うーん。多分、そうじゃないんですよね・・。
うーん。やっぱ、サイコパスな気がしてきました。
というか、ASDっていう方が近い気がしますね?
まあ、何でもかんでも、精神疾患にして、
分類したがる世の中の流れには辟易しますけれども。
ただ、分類できる事が増えるということは、
学問が進歩していっているって事でもあるからなぁ。
・・・っと、まとまらない話でした。